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2021年12月14日

中高年の健康戦略(47) 「健康観」富士通クリニック 顧問 行山康

 今回は人の行動の選択に働いている「健康観」ということについて述べてみます。
 「健康観」は気持ちの上では健康戦略よりは前に働き、半ば習慣的で、半意識的なぼんやりとしたものです。健康との関係で明瞭に意識化されれば「健康戦略」と言ってよいでしょう。
 例えば暑くてのどが渇いて何を飲もうかというときを考えてみましょう。水がよいか、牛乳がよいか、スポーツ飲料にするか、それとも果実ジュースか。何人かのグループで飲み物はなにがよいですかと手を挙げてもらうと、さまざまな要求が出現します。それぞれの人が無意識に習慣と好みにしたがって要求を述べます。
 冷たい水を要求する人は熱いからだを冷やし、のどをうるおしたいとおもうのでしょう。一方スポーツドリンクを要求する人は、汗を書いて身体の塩分も失われているからと考えたかもしれない。牛乳を要求するひとは、幼いころから水分補給は牛乳でということを習慣づけてきたのかもしれない。そうしたことを瞬時に判断するとき、身体を顧慮して自動的に働く意識が健康観です。
 何を飲みたいという気持ちはその時の状況、場所、時間帯で異なり、またそのときの飲み物の種類の選択の幅にも関係するかもしれません。清涼飲料水のアンケート調査というわけでありませんが、行動の選択には自分の体が求めているものだろうか、健康にとってよいのだろうかという無意識の判断基準が働いているはずで、半ば習慣的となって行動を選択してゆきます。それが健康観です。

 駅のホームへあがるとき、歩いて上がるか、エスカレーターにするか、エレベーターにするかなども似たものがあります。日頃、身体を動かすことが少ないから歩いてあがろう、エレベーターで真っすぐ上がったほうが時間が短く、労力も少なくて済む、エスカレーターのほうがゆっくり上がって勝手に運んでくれるので気分がよいなどさまざまです。    機械で移動するなど電車だけで沢山だ、自分はそんなに衰えてはいないよと自然と足が歩いて上がるほうに向かう方は好い健康観の持ち主です。無駄なエネルギーをつかいたくないと機械を利用する方はそれなりに健康に対する配慮が働いているという意味で、一つの健康観の持ち主と言えます。
 最近、話題となっている放射能で汚染された食品に対する態度にも健康観が働いています。
 大概のひとにはとっては国の基準値が健康観を左右するもとになっています。しかし、基準値以下でも放射能が心配でたまらないひとがいます。また国の基準値を超えた状態に遭遇して今にも「放射能にやられる」と恐怖におびえるひともいます。
 国の基準値は何倍もの安全率をかけているので、そんなに神経質になる必要が無いというのを一つの極とすると、他方には放射能が少しでも検出されるものは避けたいと汚染の心配のない食品を求めて走りまわる人がいます。人々の行動にこれだけ極端な差が出現するのは健康観を合理的に支えるデータが不足していることに加えて放射能は「見えない」という不安が適切な健康観をもつことを妨げているのです。
 また色々の専門家が放射能は少ないにこしたことはないといったり、基準値を超えても直ちに健康に被害はないと言ったり、一定しません。結局、この放射能の危険に関してはなにを、或いは誰のいうことを信じて自分の健康観としてよいかわからないということが問題です。

 90歳で元気に農業に従事するひとの映像をテレビで流していました。小柄で寧ろやせ気味のかたで日焼けした顔は生気にあふれています。アナウサーがどうしてそんなに元気でいられるのですかと問うと「畑仕事と食事」といっていました。食事の一例をみると、季節の野菜の煮たもの、生野菜、ジャコのような小魚、少量のご飯と野菜の具が沢山のみそ汁などでした。食事の評価としてはカロリーは少なめで少食がポイントのようです。
 「畑仕事が好きで飽食をのぞまないこと」が健康観として身についており、それがいつまでも活力ある生活を保っているとおもわれました。
 沖縄の90歳を超える男性に対して、どうしてそのように元気を保っているのですかとアナウサーが質問しているのをみたこともあります。その男性は「おれの元気の素はこれね」と泡盛の瓶をかかげました。この男性は長年、これを飲んでおれば健康に問題ないと泡盛を友としてきたのでしょう。
 それぞれによい健康観で人生を送ってきているわけです。ただし、少食が一番だとか適量のアルコールが誰の健康にもよいというわけではありません。ひとりひとり事情が異なり、誰にも当てはまる健康観などありません。それにもかかわらず、毎日の生活は否応なしにやってくるのでそれなりの健康観を働かせて、無数にさまざまの行動の選択をおこなってゆくことになります。

 どのような健康観をもつべきかどういう健康観が優れているかという問題には明確な答えはありません。時代は動いております。平均寿命はずっと右肩上がりです。超高齢化社会です。特に良い健康観など意識しなくとも、問題はないかもしれません。
 よい健康観を持つことについて語りながら「ひとりひとりにとって健康観は異なっている、健康観など意識しなくとも元気でやってゆける時代状況がある」ではずいぶんいい加減ではないかという声も聞こえてきそうです。
 画一的に対処できないことは確かですが、共通の問題をあえてあげれば「食べすぎと運動不足」を常に意識して健康行動をとるべきではないかと考えます。健康観にはこうしたことを意識の底に据えることがのぞましいとおもわれます。
(この項終わり、以下に続く)



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