2022年1月6日
中高年の健康戦略(48) 「頑」富士通クリニック 顧問 行山康
齢(よわい)を重ねて、最近気付いたことがあります。視力や聴力が衰え、記憶力が衰えさらに思考力も低下して、すべてがすり減ったような気分の時、逆にふつふつと育っているものを感じるのです。
どうもそれは「頑」というものらしい。「頑固」の頑であり、「頑迷」の頑です。すなわち「人の言うことを受け入れない」とか「かたくな」という意味のことらしい。しかし「頑丈」、「頑健」などともつかうように「強さ」を意味することもある。そうした拡がりをもった「頑」が岩にへばりつく苔のようにいつのまにか心の中に育ち日常生活の些細なことにも働いています。
何故、頑が育ってくるのか。例えば日々の生活を送る中でこうしておけば間違いがない、こういう態度で対処すればエネルギーを使わずに楽にことがすすむ、などという経験
が積み重なって頑の素を育てます。そうした経験の中には失敗を繰り返して得るものもあるでしょう。或いはこれだけは譲れないと守ろうとしてきたものもあるかもしれません。
そういう日々の営為の中で、心の奥底に育つ揺るぎないものを頑といいましょう。
頑はひとによってさまざまな育ち方をするので注意が必要です。例えば感性にひそむ頑。音楽好きがクラシックとジャズとかポピュラーに分かれてしまうのは知らずに育った頑が作用しています。人種、性、民族等に対する偏見などにも頑が含まれるようにおもいます。
また「この道一筋」で、頑をばねとし大業、偉業を成し遂げたかたもおります。この頑は風雪に耐え、さまざまな困難を経て形成されたものです。名人、上手といわれるひとは芸道、技芸などで頑をかかえ、育てることが中高年になってそのわざが花開くようにおもわれます。
野球やサッカーなどのプロスポーツで頑を持った監督のチームは強いのです。
したがってここでは頑という気持ちを捨ててそれから自由になろうということを主張するつもりはありません。心の核として頑は育ってきているので簡単に捨て去ることは難しいのです。
中高年の健康戦略と頑の関係はどうでしょうか。
足腰が弱ってきて、ふらついて歩いている親を、成人した子供が杖を使いなさいとすすめます。然し、親は頑として杖を突くことを拒否します。杖等使わなくともしっかりと足を運べるという確固たる信念があるのです。子供からみるとあんなに頼りなくふらふらしているのに、なんて頑固なとおもいます。
また、ひとり暮らしをしている親を心配だから一緒に暮らそうと子供が提案します。親はひとりのほうが気楽だし、十分やってゆけると同居を拒否します。子供は頑固おやじめとおもいます。本人としては自分の健康には子供の支援もあったほうがよいことは理解できるが、長年培ってきた生活感覚からすると、今のほうがよい、子供の世話にはなりたくない、迷惑をかけたくないという確固たるおもいがあるのです。
自分の経験では30年以上前に亡くなった父のことをおもいおこします。70を越えて妙にからだの具合が悪そうだったので、母を始め家族が医師の受診を勧めたのですが大丈夫だ、大丈夫だといって頑として受診しようとはしませんでした。何らかの根拠があって大丈夫といっていたのではなかったのです。しばらくすると、ひどい呼吸困難をおこし、ついに救急車で病院へかつぎこむという事態になってしまいました。結局、手遅れの胃がんが分かった時はすべてが後の祭りでした。あの時、大丈夫と言って受診しようとせず、かたくなに態度を崩さなかった父をさらに強く説得すべきでした。手遅れと自覚していたのか、それとも単に検査して悪い病気が見つかるのがこわかったのか、それはいまになってはわかりません。本当は生涯を通じて医者嫌い(本人は内科医なのですが)という頑を貫きたかったのかもしれません。
考えてみると頑は中高年の健康戦略の中では特異な位置を占めています。
それは中高年の健康では、最初に述べましたように身体の諸器官の衰え、記憶力の低下、気力低下、眼の衰え、運動能力の衰え、聴力低下、などマイナス要因に戦略的に対処しなければならないのに対し、頑は日々の生活の中で少しづつ積み上がってきたものというところが異なります。すなわち引き算よりは足し算です。したがって健康戦略上は足し算をコントロールしなければならないことになります。
これまで述べて来たように頑は動かし難いという特徴があります。コントロールが難しい困りものなのです。ところが時代は動き、環境が変化します。もちろん自分の体も変化します。容易であった頑をとおすことが困難となります。この困難を克服してゆくには一段と高い位置で自分の頑を眺めるという姿勢が大切となります。冷静に日常生活に刻み込まれた頑をリストアップし、吟味することが必要となります。
自分の頑を眺めるよい方法があります。それは親しい人と「頑くらべ」をすることです。互いにどんな頑を持っているのかを出し合い、くらべるのです。
すなわち自分はここは絶対譲れない、こういうことは寸毫も妥協できない、これだけは誰がなんといおうとやめられないなどということを出し合ってみるのです。
誰でも傍からみるとつまらない些細なとおもわれることにひそかなこだわりをもっています。どうしてこんなことにこだわっているのだと時に思い当たることもあるでしょう。
もしそれが健康に関することであれば、そこはよく吟味し、場合によっては頑退治が必要です。些細なこだわりを捨ててよりのびやかに過ごせるよう心がけることが健康戦略上、大切となります。
(終)